【完全解説】万国博覧会ってそもそも何?日本・世界での開催一覧や開催目的をご紹介
日本でも開催されたことがある「万国博覧会」。その歴史は意外と古く、起源は紀元前までさかのぼります。“博覧”という文字通り時代の最先端技術などを盛り込んだ展示・イベントが開催され、万国博覧会は数千万を超える人々が各国から集まる世界的なイベントです。
この記事では万国博覧会について、その歴史や基礎知識、過去の開催一覧や日本での開催履歴をご紹介します。
万国博覧会とは?知っておきたい基礎知識
万国博覧会は過去にも日本で開催されたことがあり、そのたびに国内でも大きな話題になります。しかし、万国博覧会の起源や目的について知っている方は少ないのではないでしょうか?
ここでは、万国博覧会の基礎知識について以下の項目に沿ってご紹介します。
- 万博の起源は紀元前にさかのぼる
- 万国博覧会の目的
- 万国博覧会ではさまざまな展示やイベントが行われる
- 万国博覧会の開催地は博覧会国際事務局(BIE)加盟国の投票で決まる
- 万国博覧会には「登録博覧会」と「認定博覧会」の2つがある
万博の起源は紀元前にさかのぼる
万国博覧会は“万博”とも呼ばれ、日本でも国際的なイベントの1つとして有名です。しかし万国博覧会の起源はかなり古く、オリンピックより古いといわれています。
紀元前のエジプトやペルシャといった地域では、国王の即位祝典行事として芸術品が国民に披露されたり、古代ローマでは戦利品や奴隷を民衆に披露したりしていました。このように最新の技術や貴重な物を博覧する習わしが進化して、現代の万国博覧会の形になったといわれています。
1851年にはロンドンのハイドパークで「第1回ロンドン万国博覧会」が開かれ、その間に世界大戦の勃発で中断されることもありましたが、現在では定期的に開催されている国際的なイベントとして続いています。
万国博覧会の目的
万国博覧会の目的は、博覧会国際事務局によって以下のように定義されています。
“博覧会とは、名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう。
万国博覧会の目的は、公衆の教育や新しい技術の進歩を促すことと定義されています。また万国博覧会の名称に決まりはなく、2か国以上が参加していることが万国博覧会の条件です。
万国博覧会は、国際博覧会条約という国際条約に基づいて登録・認定されたイベントです。
国際博覧会条約に基づいて設立された「博覧会国際事務局(BIE)」は万国博覧会の開催を監督する国際機関であり、1928年に署名・設立されました。万国博覧会の開催地や開催期間・頻度・参加国の義務や条約は、すべてこの博覧会国際事務局で規定されているのです。
日本が初めて万国博覧会に出展したのは、1867年のパリ万博です。そして1965年に、博覧会国際事務局に加入しました。
万国博覧会ではさまざまな展示やイベントが行われる
万国博覧会では、“博覧”という目的のために世界中からさまざまな人や物を集め、イベントが開催されます。最新技術や各国の文化、芸術などを展示して広くアピールする場所、というのが万国博覧会の主な位置づけです。
例えば日本では、1970年の大阪万博では「月の石」やワイヤレステレホン、電気自動車の「エキスポタクシー」、2005年の日本国際博覧会(愛・地球博)では「冷凍マンモス」といった、当時の最新技術をアピールするものが目玉として展示されました。
電電公社(現NTT)が出展した「ワイヤレステレホン」は、携帯電話の原型です。参加者はワイヤレステレホンを自由に手に取り、全国どこへでも即時通話できました。50年以上も前に、万国博覧会では携帯電話が体験できたのです。
万国博覧会の開催地は「BIE」加盟国の投票で決まる
万国博覧会の開催地は、博覧会国際事務局(BIE)の1回目の投票で候補地の1つが投票数の2/3を獲得すれば開催決定となります。2/3以上獲得した候補地がなければ、最も投票数が少ない候補地が落選します。
1回の投票で決まらなければ2回目以降も同様に行われ、過半数の票を得た候補地に決定する…というのが万国博覧会を決める主な流れです。
万国博覧会には「登録博覧会」と「認定博覧会」の2つがある
万国博覧会には、登録博覧会と認定博覧会の2つがあります。
登録博覧会は通称「大型万博」と呼ばれ、5年ごとに開催されます。広義的なテーマを掲げ、会場は540ヘクタール、開催期間は6週間以上6カ月です。
認定博覧会は通称「小型万博」で、登録博覧会より規模が小さい点が特徴です。会場規模は25ヘクタール以内、期間も3週間以上3カ月以内と短く開催されます。認定博覧会は、2つの登録博覧会の間に1度だけ開催できます。
日本・世界での万国博覧会一覧
過去に開催された日本・世界での万国博覧会について、開催年と開催地を以下の表にまとめます。
開催年 | 開催地 |
1851 | ロンドン |
1853 | ニューヨーク |
1855 | パリ |
1862 | ロンドン |
1867 | パリ |
1873 | ウィーン |
1876 | フィラデルフィア |
1878 | パリ |
1880 | メルボルン |
1888 | バルセロナ |
1889 | パリ |
1893 | シカゴ |
1897 | ブリュッセル |
1900 | パリ |
1904 | セントルイス |
1905 | リエージュ |
1906 | ミラノ |
1910 | ブリュッセル |
1913 | ゲント |
1915 | サンフランシスコ (※第1次世界大戦勃発) |
1928 | 国際博覧会条約採択 (施行は1931年) |
1929 | バルセロナ |
1933 | シカゴ (初めてテーマが登場。「進歩の世紀」) |
1934 | |
1935 | ブリュッセル |
1937 | パリ |
1939 | ニューヨーク (1939年第2次世界大戦勃発) |
1940 | |
1958 | ブリュッセル |
1962 | シアトル |
1964 | ニューヨーク (1965年日本が博覧会国際事務局に加入) |
1965 | |
1967 | モントリオール |
1970 | 大阪(登録博覧会) |
1974 | スポーケン |
1975 | 沖縄(認定博覧会) |
1982 | ノックスビル |
1984 | ニューオーリンズ |
1985 | 筑波 |
1986 | バンクーバー |
1988 | ブリスベン |
1990 | 大阪(国際園芸博)(認定博覧会) |
1992 | セビリア |
1992 | ジェノア |
1993 | テジョン(韓国) |
1998 | リスボン |
2000 | ハノーバー |
2005 | 愛知(登録博覧会) |
2008 | サラゴサ |
2010 | 上海 |
上記のように、万国博覧会は1851年から世界各国で開催されています。
過去に日本で開催された万国博覧会
過去には日本で以下の万国博覧会が開催されました。
- 1970年:日本初日本万国博覧会(大阪万博)
- 1975年:沖縄海洋博覧会
- 1985年:国際科学技術博覧会(科学万博)
- 1990年:花と緑の博覧会(花博)
- 2005年:日本国際博覧会(愛・地球博)
それぞれの万国博覧会について、概要を解説します。
1970年:日本初日本万国博覧会(大阪万博)<大阪府>
日本で初めて開催された万国博覧会は、1970年の通称「大阪万博」です。77か国参加のもと、6,400万人を超える入場者が集まりました。大阪万博では「人類の進歩と調和」がテーマで、当時は公式キャラクターなどは存在していません。
日本が国際博覧会条約に加盟したのが昭和40年2月であり、同年9月に万国博覧会が日本で開催されることが正式に決定しました。昭和45年3月に開幕した大阪万博の会場には皇室をはじめとする約8,000人の招待客が集まり、開会式の様子は宇宙テレビ中継で全世界へと届けられました。
大阪万博で大きな注目を浴びたものといえば、芸術家の岡本太郎氏が制作した「太陽の塔」です。大阪万博のテーマである「人類の進歩と調和」を実現するための原点となったこの太陽の塔は、大阪万博のシンボルとして来場者に強い感銘を与えています。
また大阪万博では、松下幸之助氏が創業した「パナソニック」も出展していました。松下氏は参加者と同じく入館待ちの行列に並び、日差しの強さを感じたことから紙の帽子を作って配ったというエピソードは今でも有名です。
1975年:沖縄海洋博覧会<沖縄県>
沖縄海洋博覧会は通称「海洋博」と呼ばれ、メインテーマは「海-その望ましい未来」です。1972年の日本復帰記念事業として海洋に特化した特別博覧会で、イメージキャラクターとして、実際のイルカをシンボル的に描いたイルカの「オキちゃん」が起用されました。
日本政府からは、海洋博のシンボルとなる半浮遊式海洋構造物「アクアポリス」やアジア・太平洋地域の海洋文化を紹介するパビリオン「海洋文化館」をはじめ、「海洋生物園」や「水の階段」「水のプロムナード」「エキスポビーチ」「夕日の広場」などを出展。海外からはアメリカやイタリアなど6か国から、自国の歴史や文化、科学技術を紹介するパビリオンが出展されました。
南北約4kmにわたる海洋博の跡地は、振興開発の拠点として活用できるよう国が整備を担い、1976年に国営公園「沖縄エメラルドパーク」として開園しています。
規模は大きくなかったものの、青い空や青い海といった沖縄のイメージが確立し、観光名所として広く知られるきっかけとなりました。
1985年:国際科学技術博覧会(科学万博)<茨城県>
国際科学技術博覧会は科学万博の名で親しまれ、テーマは「人間・居住・環境と科学技術」です。世界48か国、37の国際機関が参加した科学万博は来場者数は2,033万人と多く、日本でも科学ブームを巻き起こすきっかけとなりました。
マスコットキャラクターとして起用された、「コスモ星丸」は小中学生の公募から選ばれたもので、UFOをイメージしています。
人気だった展示は、偏光メガネで建物が浮き上がって見える「住友館」や立体映像を投影した「富士通パビリオン」などです。未来の乗り物としてリニアモーターカーが専用軌道を走ったり、ロープウェイである「スカイライド」やモノレールである「ビスタライナー」、歌って踊る二足歩行ロボットがお披露目されたりと、大きく注目を集めました。
1990年:花と緑の博覧会(花博)<大阪府>
大阪市鶴見区で行われた花博は、アジア発の国際園芸博覧会として、2,312万人もの来場者でにぎわいました。花博以降メディアでもガーデニングが紹介され、花壇苗の出荷量が急増するなどガーデニングブームのきっかけとなりました。
83か国、55の国際機関が参加した花博では、公式キャラクターとして「花ずきんちゃん」が起用され、おみやげグッズとして多くの人気を呼びました。
「自然と人間との共生」がテーマで、会場は山・野原・街の3つのエリアで構成され、伝統的な庭園様式「国際庭園」や花壇など、32のパビリオンが設置されました。
花博をきっかけとして新設されたのが、大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)の「鶴見緑地線」です。営業線として、全国初のリニアモーターカー車両が投入されたことでも注目を集めました。
2005年:日本国際博覧会(愛・地球博)<愛知県>
愛・地球博では公式キャラクターとして森のおじいちゃん「モリゾー」と、森の子ども「キッコロ」の2人を起用し、2,205万人の来場者が訪れました。
メインテーマは「自然の叡智」で、目玉となったのが「冷凍マンモス」です。ロシア北部の永久凍土から凍った状態で発見された冷凍マンモスは、目や皮膚、体毛の一部も残っており、冷凍状態で展示されたのはこの愛・地球博が世界初です。
当時でもかなり貴重な「マンモス発掘・展示プロジェクト」見たさに、多くの来場者が訪れました。この冷凍マンモスは「ユカギルマンモス」という種類で、2019年には14年ぶりに再来日したことで再び話題となりました。
また、2025年には再び大阪で万国博覧会が開催されることになりました。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」として、公式キャラクター「ミャクミャク」を起用し準備が進んでいます。
万博開催国は不動産市場に与える影響も大きい
万国博覧会の開催国になると大規模な都市開発が進むので、不動産に与える影響も少なくありません。
万国博覧会の開催国となった場合、周辺エリアには以下のような影響が考えられます。
- 鉄道の延伸・新設が進む
- 万博開催決定後はホテルの建設ラッシュが始まる
- 周辺エリアの住宅開発が一気に進む
- 単身者を中心とした労働者が多く流入する
- 万博の開催が近づくと不動産購入が活発になる
それぞれについて、順番に解説します。
鉄道の延伸・新設が進む
万国博覧会の開催国および開催地が決定すると、その場所へのアクセスを便利にするために鉄道の延伸や新設が進みます。
例えば日本の実績で見ても、1985年に筑波で開催された科学万博で常盤線牛久駅~荒川沖駅の間に「万博中央駅」が新設され、1990年に大阪市で開催された花博では現大阪メトロ線において「鶴見緑地線」が新設されました。
また2025年の大阪・関西万博では、会場となる大阪港の人工島「夢洲(ゆめしま)」へのアクセスのために「夢洲駅」を開設しています。
万博開催決定後はホテルの建設ラッシュが始まる
万国博覧会の開催国は、開催地が決まると都市開発が進み、来場者が宿泊するためのホテル建築が急増します。ホテルの中でも富裕層をターゲットとした高級ホテルの新設が進み、リゾートホテルや外資系チェーンのホテルラッシュが始まります。
日本では海外と比べると高級ホテルが少ないと認識されており、万国博覧会を目当てに来日した富裕層を獲得するために、多くの企業が高級ホテルに注力するのです。すでに開催地で何十年と経営している老舗ホテルは競争力を高めるため、万国博覧会に合わせて大規模改装を行います。
周辺エリアの住宅開発が一気に進む
万国博覧会のために交通機関やインフラ・商業施設の開発が進み、その結果土地の値段も上がりやすくなるのです。
万国博覧会の開催地は、アクセス向上のために鉄道の延伸やインフラの整備が進みます。また万国博覧会の建設のために人が多く集まり、周辺の商業施設や商店街などが活性化します。
万国博覧会の開催期間が終わったら、その広大な会場跡地を有効に活用するために、跡地の利用計画も構想されます。万国博覧会の跡地は国営の公園になったり大規模な商業施設になったりとさまざまで、2025年の大阪・関西万博ではカジノやホテルを含んだ統合型リゾート施設の建設が予定されています。
単身者を中心とした労働者が多く流入する
万国博覧会の設営には、大勢の人手が必要です。開催地が決まれば会場やパビリオン、関連設備の建設需要が急増し、万国博覧会の準備が始まると多くの労働者が集まります。その結果、開催地周辺の居住施設や宿泊地は需要が高まり、賃貸料や宿泊料が上がりやすくなるのです。
万博の開催が近づくと不動産購入が活発になる
万国博覧会の開催が近づくと、企業や投資家が不動産を購入する動きが活発になる傾向があります。これは万国博覧会の経済効果が大きく影響しており、開催地周辺エリアが広範囲にわたり開発されることで地価が上がり、不動産の動きが大きくなるのです。
上記のように、万国博覧会開催国の周辺エリアは不動産や土地に大きな変化が訪れます。
まとめ
万国博覧会について、基本情報や日本の開催履歴、開催地が不動産に与える影響などを解説しました。「興味深い」と思っていただけるものがあれば幸いです。
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